老化なのか

都営地下鉄を乗り越して半蔵門線に乗り継ぐために精算機に並んだ。
先客にお年寄りがいて、精算は済んでるんだが、
お金を財布にしまうのに手間取っている。
そんな事はどいてからやればいい、と以前の僕なら腹を立てていたところだが
最近はそんなでもない。
精算機やレジではやらないけれど、
銀行のATMでは僕自身、財布をカバンにしっかりしまうまで
機械の前を離れなくなっているからだ。
一つには扱う金額が若い頃より大きくなってきた事がある。
もう一つは、犯罪の引き金となる金額が近年小さくなってきたと、
報道を見て感じるためだ。
よくそんなにハイリスクローリターンな犯罪を犯すものだと思うけれども…。
体力的に、屈強な若者に抗えなくなってきているのもあり、
こんな僕でも標的になりえるという事から、彼等を必要以上に刺激しないよう、
ATMでは財布を背中でカバーしているというわけだ。
もっともフォーク並びの浸透もあって、
ATMは短い時間ながらもパーソナルスペースになるというのも
ゆっくり身支度できる理由であろう。
さて、腹は立てないまでも、「なんだかなぁ」と思っていた僕であるが、
いざ自分の番になって面食らってしまった。
乗り換え先のボタンがわからなかったのだ。
言葉ではなんとも説明しにくいんだが、
画面のレイアウト上で乗り換え手順が一つスキップされており、
思考が寸断されてしまったのである。
時間にして4秒ぐらいだろうか。
僕の後ろに人が並んでいるのは認識していたから余計に焦りはつのる。
先ほどお年寄りに対して多少なりとも批判的な感情を持ったばかりだけに
自分の失態がふがいなく、とてもやるせなかった。
それにしてもあの画面表示が即座に理解できないとは、
僕の脳みそはどうしてしまったんだろう。
思考のショートカットが効かなくなってきたんだなぁ。
こうやってまた、自信をなくして遠慮がちになっていくのかなぁ。
自分の衰えを変に認めないのは褒められた事じゃないけれど、
このまま背中をどんどん丸めていくのもやるせない。
頭は使わないとね。
考える事を放棄しないようにしなきゃね。