イツワリノウタヒメ 2

注意!!超ネタばれしています!!

マクロスF 虚空歌姫~イツワリノウタヒメ~」を観てから2週間が経った。
だんだん気持ちもヌルくなってきつつあり、また記憶もどんどん薄れてくるので早いトコ感想を文字にしてしまわなくては。
とは言え僕は全席入れ替えの映画館で一度見たきりなので、ストーリーを順序良く追っては話せない。
記憶違いや解釈違いもあるだろうから、そういう事があった場合は素直に反省したい。
まず最初に書きたい事は、バジュラとの(この映画での)最終戦の途中で僕はとても腹を立て始め、
不機嫌な状態で見続けたエンディングまでの、ストーリーと演出にたいへん強い不快感を持ったという事だ。
僕は上映中、一度も時計を見なかったけれども、
しかしその時点でそれが終盤にあたるだろうという事はなんとなく感じていた。
もう時間が足らないだろうから、バジュラとの和解は描かれないのだろうと思った。
それはそれでアリではある。
ストーリーの中の一部分だけを抜き出して劇場映画化する、まぁアリだと思う。
実際には後編「サヨナラノツバサ」があったのだから事情は違うわけだが、
そんな事は知る由もないから「ほぅ、ここで終わるのか、ならこちらとしてもそういう気構えで見なくては」と
気合いを入れ直して終盤に臨んだわけだ。
しかし、そこからの展開はちょっと酷いものだった。
シェリルが「私にだってできるはず」と走り出すのも唐突過ぎれば、
現状ではまったくの駆け出しのランカが分をわきまえずにシェリルのステージに降り立ち、
あまつさえ「ライオン」をデュエットしだすという無茶苦茶ぶり。
無茶苦茶という表現には異論のある人もいようが、それは過保護というものだ。
確かにシェリルは今回「アイモ」の件など、裏でいろいろ背負っていそうではある。
しかし私のステージ私のステージと自分のテリトリーを主張し続けるのは変だし、
フォールド・クォーツの能力が劇場版でパワーアップしていたとしても
「できるという事を知っているなら自信を持ってやる」だろうし、
「できるという事を知らないなら無謀に走りだすのは変」なのである。
結局シェリルを走らせるため、歌わせるための屁理屈、お膳立てに過ぎない。
ランカがシェリルと仲良く歌うのも不自然だ。彼女はその時全く「痛み」を感じていないように見えるし、
そもそも喜色満面、ニコニコ笑いながら歌ってやがる。B級アイドル映画じゃあるまいし。
マクロスだからそれでいいのだ、それがマクロスらしさだ」とか言う奴がいるけど国語力ゼロか。
制作者は、後編がある事を知って見る。
制作者は、この前編がどう終わるかを知って見る。
制作者は、金を払わずに見る。
僕達は、普通その真逆だ。その、真逆の観客の気持ちを、制作者はわかろうとしなかったのではないか。
テレビシリーズはまぁいいのだ。タダだから。
でも劇場版は金払って見に来ているのだ。スペシャルな気持ちで。充実したいのだ。
シェリルとランカが歌う、その歌は本当にそのシーンで歌うべき歌だったか?
本当に、歌詞の内容まで検討したのか?
新しい歌を入れるよりもその歌を入れたほうが良かったから既存のその歌を入れたのか?
エンディングが終わり、後編(完結編)製作のテロップの後、観客はさっさと立ち上がって帰っていった。
余韻を楽しむ奴なんて誰一人いなかった(これについては公開からだいぶ経っているという事もある)。
なんと味気ない。
映画館から出るエレベーターの中で、若い子達が友達と喋っている。
「ランカちゃん可愛かったー」「菅野さんの」「ミシェルがあそこで」。
そんなもんでいいのかお前ら。
アニメってのはもっと素晴らしいものなんだよ。もっと熱くなれるもんなんだよ。
僕は初代&愛おぼ厨ではないつもりだ。
だけど「愛おぼ」は奇跡のような作品だと思っている。
うろ覚えだけれどテレビシリーズ放映当時の「OUT」か「Animec」に、
マクロス」は生死を賭けて戦っている場に真剣に三角関係を持ち込む、そんな作品だ」と
制作者のコメントが載ったと思う。
ロボットと美少女を同じ比重で作品の核とした、そこが当時「軽い」と評された部分であったのだが
振り返ってみればそれは全然「軽く」はなく、
「僕(私)達にとっては恋愛は(戦争なんかより)重要な事なんだ」と価値観の違いを悲痛な声で叫ぶ、
そんな重たい作品だったのである。
ミンメイは死ぬ気で恋愛していたのだ。
だから撃墜カットと交互に描かれたのだ。
それを死ぬ気で見ていたのだ僕(僕達?)は。
「もうひとりぼっちじゃない」っていうのは
ちっぽけな生命体の自分が、誰かと身を寄せて生きている上で誰かを殺していて、
しかし殺している自覚があるにも拘らず誰かと繋がる快感を選ぶ、その傲慢な背徳行為を歌うから
ミンメイは悲しく笑って歌うのだと僕には思えるのだ。
それをなんなのだあのランカの顔は。ランカにあんな顔で歌わせる事が、真剣に作品を作るという事なのか。
ランカのCM曲は作っていて楽しかったのか。
ファミマのシーンはお客様に喜んでもらえたか。
試写を見て「こんなもんだろ」と思ったか。
「逃げるな」というメッセージは今の若者に向けられたメッセージだったのか。
それを発した制作者たちは、逃げなかったか。

やれやれ。

それと、どこが「イツワリノウタヒメ」だったのだ。何が「イツワリ」だったのだ。
スパイであり、歌姫でなかった事か?
なら「歌で銀河が救えるわけないでしょ」はどこにかかっていたのだ?
シェリルが「(あんたの)歌で銀河が救えるわけないでしょ」と言うならわかる。言うわけないけど。
グレイスが言うのでもわかる。
しかしポスターのあれはどう考えてもただの「釣り」だ。

シェリルのファースト・ライブで背景のCGにやたら力が入ってたけど、
そんなところはいいからもっとシェリルの描写をしろよと思った。
白黒の二人のシェリルもライブ感をそいで興醒め。フロンティアの観客は実在感を求めないのか?

バトルシーンだけは劇場スクリーンで見てよかった。

パンフレットは買わなかった。
パンフレットにはいろいろ解釈についての情報が載っていたみたいだったけど、
パンフレットは作品の一部じゃないから。
ちなみに僕には感情の洪水って奴は起こらなかった。

以上です。