写真の仕事と品質

僕は商業カメラマンである。
写真業界はデジタル化によって大きく変わった。
悲惨なところでは銀塩フィルム製造や現像プロセスの分野、
これらの業務に携わっていた方達の中には
失職の憂き目にあった方も少なくないと思う。
技術の進歩により、仕事が消滅する。
これはある意味では運命としか言いようがない。
その潮流に流され、力尽きる前に
なんとか生存のための方策を立てるのが
本来賢明なのであろう。
今、生存という言葉を使ったが
その場合の「生存」は、
種としての、つまり例えば「銀塩フィルムメーカー」としての生存ではなく
個体である「○○社」としての生存を指す事になる。
その実例が、例えば「F社」と「K社」だ。
社員を有する組織としての会社を守るために
「F社」は現在、化学や化粧品の分野で頑張っているようだ。
一方、「K社」は破産申請中である。
K社は確かに、過去にもフィルムのフォーマットで
幾度となく失敗を繰り返してきたように
非常に不器用ではあるが、
写真に対する一途さは誰もが認めるところだろう。
それでも、結局ダメだったのだ。
やる気、情熱、技術、
そういったものの力が及ばない、
市場の原理にのみ左右される運命、
それは確実に存在する。


さて、そんな風に写真界を変えたデジタルカメラの普及だが
これは我々プロカメラマンの仕事も相当減らした。
大きなところでは、
デジタルカメラでは撮影した画像をすぐに確認する事ができるから
銀塩フィルム時代のプロカメラマンが持つ
「絶対に撮影できている」という特殊能力が特殊能力ではなくなった。
それと似たところで、
一コマのコストが飛躍的に下がったので
撮影バリエーションによって撮影技術を補う事が
一般的な事となった。
他にもいろいろとあるが
ベテラン・中堅カメラマンの仕事が若手カメラマンに流れただけではなく、
異業種の人が写真を必要とした時に
「自分でパチリと」撮ってしまうようになったから
プロカメラマンの仕事は本当に減った。
素人が手軽に写真を撮れてしまうデジタルカメラの出現によって
プロカメラマンが駆逐されるのは
先に書いた運命みたいなもので、どうする事もできない。
それに、正直に言えば我々プロにも少なからず恩恵はあったのだし。


ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった(Togetter)
http://togetter.com/li/363578
素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい(シロクマの屑籠)
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120910/p1


素人が手を伸ばしても届かないようなクオリティを提示すれば
プロは生き延びる事ができるのか。
上記ブログでも言及されているが、
クオリティにもいくつかあって、写真でいえば
「写真そのものの品質」と「写真のディレクション」、
「撮影のプロデュース、コーディネート」、その他だ。
── 一流中の一流、のカメラマンの方たちのことは棚上げすることにしよう。──
プロがプロであるためのプロらしい所作、
これは確かに素人とは一線を画するのだが
それを以って、素人による侵食を止められるかというと
残念ながら無理だと僕は思う。
そこに3番目の存在である「消費者」が介入してくるからだ。
昨今のデフレを見るまでもなく、
消費の動向が「安いもの」へと向かってずいぶん経つ。
「最低限の品質が保たれている」は、言い換えれば
「最低限の品質しかない」、だ。
それでも「安いもの」は消費される。
そのうちに、品質の低さが正当化されてくる。
楽天」に並ぶ写真を見てみるといい。
半分ほどは素人写真で、商品を正確に表現しているとはとても言えない。
しかし安い商品価格を実現しているのも
商品写真のコストを削ったからこそである、と消費者が認識しており、
そこに商売が成立している以上、
その低レベルな素人による商品写真は
「受け入れられた」ということになる。つまり「合格」だ。
そしてその写真の品質の低さを、世間は「普通」だと思うようになってくる。


何かを形容する言葉が「カワイイ」に埋め尽くされて久しい。
その意味するところは「好ましい」、だと言っていいだろう。
「カワイイ」はもはや、対象を全く形容していない。
しかし市場はそれを看過し、迎合する。
消費者の判断力が低いほうが、儲かるからだ。
今現在、ニッチなカメラ業界はミラーレス一眼で盛り上がっているが
一般大衆の感覚で今カメラと言えば、
iPhoneスマートフォンのことを指すだろう。
カメラ付き携帯が出始めた2000年頃はそれらはまだ
「カメラを持っていない時の代替品」だったが
人々はその携帯性と引き換えに
写真の概念を利己的に変質させていった。
写真はコミュニケーションのために即興的に使われるツールの一つとなり、
その目的さえ果たせば、品質は最低限あればよくなった。
求められる品質が低ければ、流通する写真の品質も
それに合わせて低下する。そのほうが儲かるからだ。
その市場の動きには、カメラマン一個人では対応できない。
カメラマンが提供できる写真の品質は、
消費者がそれに対して支払う対価で決まるのだ。
そして品質の低下は加速する。
たいへん嘆かわしい。


そんなわけで。
プロカメラマンが、仕事のパイを素人に持っていかれることは
時代の流れ、運命だから仕方がない。
素人やテクノロジーに文句を言う筋合いでもない。
しかし素人の参入により、写真の概念がレベル的に引き下げられ、
市場が荒れてしまって商売ができないこと、には
自分の仕事を愛するプロとして不平を言いたい。
これらは、職人の代名詞である大工さんに置き換えてみると、
より分かってもらいやすいのかもしれない。



(後書き)
さてちなみに、では黙って死ぬのか、というとそう簡単に死ぬわけにもいかない。
減ってしまった仕事のパイはどうすることもできないのだから、
できることは何か、というと他のプロカメラマンから仕事を奪うことだ。
つまり共食いすることで分母を減らす、ということだ。
なぜこの観点が、上記ブログやそのトラックバック先にないのか
不思議に思うのだが
物書きの場合は組織ではないから
体力勝負というものがないのかもしれない。