福島原発はひどい事にはならない、という意見に対して

「みんなが気持ちを一つにすればきっと大丈夫」っていう論調のつぶやきや書き込みが、ネット上に溢れてる。
それはエールの形にもなっていて、
一見美しいモノに見えるけれど、でも、ある種の人達には暴力として作用すると思う。
例えば、逃げるあてのある人。
逃げても生活をやっていける人。
そういう人達が、「きっと大丈夫」という意見を聞いて
「大丈夫なのか、ならば逃げない事にしよう」と判断し、逃げなかった事で被害にあったならば、
その被害へ誘導したのは無責任に「大丈夫」と発信した人だろう。
そりゃ、「逃げ場のない・逃げられない人」の方が多いかもしれない。
でも、「自分でない人」に、逃げる事ができる可能性があるならば、
その行動を阻害する恐れのあるガセネタは流すべきじゃない。
同じ種の人達には「現場で頑張っている人たちに申し訳ない」という意見もよく見られる。
確かに現場に近い人たちはもっと辛い状況で、逃げられもしないだろうから、
そんな人たちに「危機的状況だ」という事を認識させるのは残酷な事かもしれない。
でも、なによりも中立なのは「真実」ではないのか。
 
今日は
だからチェルノブイリとは違うって何度言えば分かるんだってばよ!原発についてまとめてみた
http://www.icoro.com/201103145746.html
を読んだ。
爆発だけを脅威として捉えていて被曝の事に触れていないのに、
「これを読んで安心」とかいう奴が多いのに驚いた。
このブログで書かれているのは、「ティファールの圧力鍋とフィスラーの圧力鍋は機構が違う、
だからティファールの事故とフィスラーの事故は性質が違う」というような事だ。
市民にとって重要なのは機構の違いではなく、
「逃げた方がいいのか逃げなくてもいいのか」という事だと思うのだが。

 
それからもう一つ言っておきたい。
被爆」と「被曝」の違いに言及する「大丈夫派」がかなり多いけど、
それがどれだけくだらない事か考えて欲しい。
こんな状況で、爆弾の話なんかするわけないだろう?