はるさきのへび

■「はるさきのへび」椎名 誠(著)
以前読んだ「岳物語」「続 岳物語」は大変面白く、女房と二人で喜んで読んだ。
岳にお姉ちゃんがいる事を知ったのはそのずいぶん後で、
そう聞いた時にはご他聞にもれず目が飛び出るほど驚いたものであった。
そのお姉ちゃんが、本書のもっぱらの主役である(人称的には父{椎名 誠氏}であり、母なのだろうが…)。
同じ構成の家族を持つ身として、語られる物語、エピソードは非常に興味深いし共感を持つ。
さほど育児論・教育論にはなっていないから嫌味もない。
とても気持ちのいい三篇である。

しかしなんというか。
僕は椎名氏の著作を結構読んでいるのだが、最近ちょっと椎名氏のプライベートを
「知り過ぎてしまったな」と思うようになってきた。
氏はこの本を(をも)私小説として赤裸々に世に出しているのだから覗き趣味というわけでもないのだけれど、
僕としては「椎名氏の家庭の内情だから」この本を読みたいわけではないのだ。
例えばそれが(仮に)「椎名氏が描く『サワノ氏の家族』の話」でも構わないのである、面白ければ。
しかし事ここに至って僕は椎名家について、知らなくてもいい事まで知ってしまったような気がするのだ。
知らなくてもいい事、というのは物語を成立させるにあたって重要ではない事、とでも言おうか。
例を取ってみると、保育所の開設で細君がたいへんに忙しくしていた、という要素は
他の職種に置き換えてもなんとかなるはずで、なのにあえてなんとかしていないのは
「これは椎名氏の私小説である」というお題目があるからで、
そのお題目が重要視されている以上、読者である僕も「椎名家に興味があるんでしょ?」というような、
嫌らしい見えないレッテルを貼り付けられているような気がするのだ。
確かに今となっては椎名家のキャラクターは気になる存在だけれども、
「椎名家の事は何でも逐一知っておきたい」というわけじゃないのだ、本当に。
そこが僕にとってのジレンマである。

もう一つこれは個人的に主張しておきたい事なのだけれども。
物語中に、犬のリードを外しての散歩を咎められたエピソードが出てくる。
他の著作でも読んだような気がするからたぶんそれは実際に起こった事で、
その事について氏はよほど不服に思ったのだろう。
だけど僕はそのエピソードがどうも気に入らない。
「危険な犬ではないから大丈夫です」という返答に対し、爺さんは
「しかし不安を感じる市民がいるのだから繋ぐのがルールだとは思わないか」と丁寧に言うべきだった。
獣としての自然な姿、本来は土であった(獣が闊歩していた)道路、個人の散歩空間、
そういう要素はいかにもシーナ的であるから
読者はおおむね椎名氏の味方についていそうであるが、言ってる事は爺さんの方が正論なのである。
ここを、「やんちゃ」だとか「少年のような」だとか「昔ながらの」とか
そういったエキスを求めて読んでいる人は踏み外していそうだなと僕は思い、また嫌になってしまうのだ。
いかんな、と思ったらそれが椎名氏に対してであろうともいかんなと思う、
椎名氏の本を読む人はそうであってほしいものだがどうだろうか。

……いやリードの話は些末な話であった。この本は気持ちの良い本であったのだ。