美味放浪記

■「美味放浪記」壇 一雄(著)
嵐山光三郎氏の著作を読んで檀氏を気に留めていたところ、
古本屋のワゴンセールで背表紙が目に飛び込んできて購入。
氏の代表作「リツコ その愛」「火宅の人」は未読なので順序が逆であるが。

「檀流クッキング」というレシピ本(?)も書いた氏が、
国内、国外の食を綴ったエッセイ…かと思いきや。
そもそもの掲載が雑誌「旅」の依頼によるものだったらしく、
「食」一辺倒というわけではない。
美食を求めて、という名目はあるものの、
食べ物そのものに関する記述よりも
それを取り巻く環境、状況の方が仔細に描かれており、
だからどちらかというと旅行記に近い気がする。

裏町の立飲屋専門の野暮天を自認する氏であり、
その姿勢は親しみを感じさせるがその実
「ドイツの裏町だったら」「つい先頃、私はソビエトへ」
「ニューヨークでも… パリでも… ロンドンでも…」等と
諸外国への外遊経験が引き合いに出されているのを見ると
やはり生活基盤の違う人なのかと少し落胆もする。

もっとも、檀氏自身が私小説中の存在そのものであり、
だから当時の大衆も氏の存在に対して
コスモポリタンっぽさを求めていたのかもしれないから
氏もそれに応える形でモダンさ、インテリっぽさを
わざと文章の端々に塗り付けていたのかもしれない。

これが書かれたのは1965年と1972年らしい。
最初の掲載がどういう文体で書かれていたのかはわからないが、
僕の読んだ版では完全に現代の口語体であり、非常に読みやすい。
また言い回しについてもコミカルな味があり
当時としてはかなりくだけた物言いだったのではないだろうか。

さて、食の内容であるが
読んでいくとやはりというか、かなりの高級店志向である。
例えば新潟編において、
「鍋茶屋」は高級だから「本陣」か「松井」辺りがいい、と書いているが
平成21年の(そして未曾有の不景気の)今日において
料亭「鍋茶屋」は夜のご予算 \25000 から(←きっと料理のみ)、
割烹「本陣」は \10000 から、という感じで、
そりゃ芸妓さん等付ければ料亭「鍋茶屋」の予算は跳ね上がるだろうが、
割烹「本陣」とて決して庶民が気軽に利用できる店ではない。
ただ大人が食事を楽しむならば、
例えば旅先で美味しい物を食べようとちょっと奮発するならば
決して手が届かない額でもなく、
だから旅行雑誌が取り上げる価格帯としてはなかなか悪くない。
だが、普段使いの食のエッセイを読みたい僕には
この本で取り上げられている店は、やはり高級店過ぎる。

もっとも、馴染めないのは氏が行く高級店であって、
本の中で紹介されている土地々々の食材は
庶民的な市場で我々にも手に入りそうな物だから
そこのところには非常に親しみを覚える。
知らない食材が出てくると、
それらの土地に足を運んだ時にはぜひ探して食べてみたいと思ってしまう。
これはひとえに、食べ物を美味しそうに書いてみせる氏の手腕によるものだろう。

グルメを自認する人ならいざ知らず、
今日の、低いエンゲル係数で生きている者にとっては
食のエッセイとして読むにはちょっと生活基盤の合わない所があるが、
本の中にトリップするのなら、その読みやすさでなかなか悪くない、
そんな一冊だった。