CASSHERN

・「サブリミナル効果」は一般的に、
映像中に一瞬、別の映像を挿入する手法を指す事が多いですが
このテキスト中では、映像に引き込まれて思考が行われていない状態の
視聴者の潜在意識・深層心理に、
考えずとも作用する映像の事を指しているつもりです。
直接的ではないにせよ、連想を生む映像、といいましょうか。
例えば死を映して生を感じさせるなら、生は映っていないので
そういうのも「サブリミナル」ではないかと思うのですが
いかんせん僕は専門家ではないので、間違っていたらすみません。
■「CASSHERN」は、カメラマンであり、
宇多田ヒカルの夫でもある紀里谷和明氏が監督をしているのだが、
氏のマスターベーション的な映画だという評価がたいへん多い。
「確かに映像は綺麗なんだけど」とも評されていて、
そこから察するに多少は、カッコつけた物に対する
勿体ぶった受け入れ拒否なんてのも働いているとは思う。
僕は職業カメラマンで、だから氏とは使用言語が同じである。
だからと言って僕が一番理解しているわけではないし、
また僕が氏に対して無条件に賛同の立場をとる理由にはならないが
僕にとっては意を汲みやすい手法である事も確かである。
もっとも、アニメを例にとるまでもなく
現代における表現の最先端はオタク…いや、
OTAKU的な分野において花ざかっており、
だから僕が理解しうる表現、色調だとか構図だとかは
その道で美について探求すれば、
職業としなくても言語として受け入れられる種類の物だと思う。
僕は動画部分に関しては素人だし、
その辺なんかはカッコいいアニメのPVを作っている人のほうが
よっぽど意図を汲み取る事ができるだろう。
とまぁ、長い前置きだったがつまり、
なんとなくはなもちならない、というような先入観は捨てて、
とりあえずは「そういうものかな」と思って見てみてはいかが?
という事なのだ。
さて僕の感想だが、まず映像が美しいという点を評価したい。
CGだからといって何が問題だというのであろうか。
CGでしか実現できないのならば、そうするべきである。
そもそも今日では、映画にもリッチな雰囲気が求められており
また映画にストーリーやキャスト、演技の他に
観客の精神に対して呼応するかのような
視覚を通した映像ドラッグ的効果も求められていると僕は考えていて、
だから観客にメッセージを発信するにあたり
まずは最善の、接触方法・インターフェイス…メディアという事とはちょっと違う、
「伝えるかたち」とでも言ったらいいのか、
とにかく世界レベルでのクォリティで映像を用意し、
そのうえでそこから始める、そのスタンスは正しいと思う。
もっとも世界レベルとは言っても、
予算の都合なのか、安いところは随所にある。
黒塗りの車が疾走するシーンはCGアクションが稚拙
(ここに限らず重量物の慣性を伴う動かし方全般がかなり甘い)だし、
ハニメーションはコマ送りのつもりなら失敗、
滑らかな動きを目指したなら手抜き、である。
世界観でいうと、雰囲気を出すためか
随所に見られるアナログ様式が、ややマッチングしてない感じもする。
とまぁそんなふうに、ハリウッドに並ぶにはかなり苦しいが、
モーションのデフォルメ、割り切ったエフェクト
(新造人間にまとわりつくピシピシいう奴)、
ロボット軍団の行軍シーンに挿入される、
ウルトラシリーズのOPのようなハイコントラストのシルエット、等
アニメ・マンガの国ならではのエッセンスが効いているので
チープな二番煎じっぽさは感じない。
あえて言うなれば、スタッフがどんな子供番組を見て
どんなふうに感化されながら育ってきたのか、
その脈々とした流れは、オマージュとして垣間見る事ができるかもしれない。
その、昔の子供番組の一つである特撮物が
実写であるがゆえに当時いろいろな制約に縛られていた事を思えば
この「CASSHERN」は、むしろテクスチャに実写を用いたアニメである。
オリジナルがアニメであったのだからまさに正常進化だ。
アニメ「新造人間キャシャーン」といえば、勧善懲悪及び、
人間とは何かという事がテーマであるが、
この映画版では違う方向からのアプローチ…
産業と戦争、親と子、輪廻といった…をとっていて、
それがまた気に入らない向きには気に入らないようである。
僕はアニメ版とは違う物として受け止める事ができたので
比較してどうのという感想はあまり持たず、
単独作品としていろいろ考えさせられた。
おそらく「エヴァンゲリオン」あたりが発端の
解釈を明示しないで観客に委ねる手法、
それがこの「CASSHERN」にも渦巻いている。
客を試す事にも通じるので、物によっては腹立たしい事もあるのだが
この作品においては登場人物が皆、鮮烈にひたむきな事も手伝って
あまり嫌な感じはしない。
どちらかというと僕自身が頼まれもしないのに
深く深く深読みして独りよがりなマスターベーションをしてしまわないか、
むしろそっちのほうが心配だし、こっ恥ずかしい。
もっとも、考える事が億劫で拒否した揚げ句、
「自分とは相入れない」としてしまうよりはいいけれど。
この「CASSHERN」は、戦争にも言及していて、
それにも否定的意見はあるようだ。
そりゃ確かに戦争を本当には知らない人達がこの映画を作ったのだろう。
しかし、「感情移入」という事について、もう一度考えていただきたい。
さらには「攻殻機動隊」よろしく記憶の操作による、ないはずの感情についてだ。
バーチャルリアリティ」という言葉は昨今とんと聞かれなくなったが
バイオテクノロジーをストーリーの主幹に持つこの映画では
感情の起伏の擬似体験ともいうべき、ストーリーへのシンクロによる、
一種サブリミナル効果を生むような仕掛けがされている。
これは例えば歌に共感してもらえるように歌詞を作成するのと同じく、
擬似体験によって引き出される思考の飛躍、感情のアップダウンを
視聴者がある意味「楽しめる」ように、という趣旨だろう。
それはいうまでもなくエンタテインメントとして有効で、
喜劇、悲劇を楽しむのとなんら変わらない。
三者の視点で見ていたのが、一人称視点になっただけの事である。
ただ当事者として受け止めるだけにそのインパクトは強い。
衝撃的な、人を殺すだとか愛する人を失うだとか、
そんな状態での、かつて体験した事のない感情を無理矢理引き出されるのだから
嫌な気分になる人が多いのも当然といえば当然だ。だが…。
常套句で「あなたにこの悲しみがわかるか」というのがある。
昔の時代ならそう言われると返す言葉がなかったりしたが
現代社会のように科学的な論拠を述べる事が難しくない環境であれば、
「必ずしもわからないわけでもない」と言えると思う。
例えば愛する人を失うリアルな夢を見たとする。
大きな衝撃、慟哭を体験する。
たぶんその瞬間、人は目覚める(夢で精神が壊れないように?)が、
その一瞬の悲しみが、現実世界の悲しみと、違うと言えるだろうか。
それと同じ、とはまだまだいかないが、
映像コンテンツがリアルになり、没入度がどんどん上がっていけば
人は虚構を実体験できるようになる。
今でもそういう人達は現れていてしかし、
精神を病んでいるという事で片付けられていると思うのだが
事態はそんなに甘い物じゃなくてドラッグ同様、
運用方法を論議する必要性があるところまできていると思うのだ。
だいぶん脱線したが、一つ言えると思うのは、この映画は観客を選ぶ
(エリートという意味では決してない)という事であり、だから、宇多田ヒカル
熱心に営業してはいけなかった映画だという事だ。
少なくとも、日常会話の中で照れもなくギャグでもなく
「(ガンダムの)ニュータイプ」という言葉を普通に使える人でないと難しいのではないだろうか。
蛇足ではあるがキャストについて。
最高に良かったのは及川光博。彼はクドいけれど、
それをややもったいないと思える程度に
上手く演出されていて非常にいいキャラクターだった。
それとサグレーを演じた佐田真由美
アンドロイドっぽい、非常に美しい顔立ちでいいキャスティングだった。
ルナこと麻生久美子よりも整っているので、ルナが食われている気もした。
しかし麻生久美子ルナはアニメ「キャシャーン」のルナにそっくりで、
これまたそれはそれで素晴らしいキャスティングであった。
キャシャーンは、ヘルメットを被った姿をもっと見せてから
ノーヘルになった方が良かったんじゃないかな。
そこについてはなんとかがんばってほしかったなぁ。
あとどうしても書いておきたい事。
映像が美しかったのは序盤だけだという批評もあったが、
終盤のキャシャーンの血染めのコスチュームの血染め具合まで美しい。
たぶん美しく見えるように撮っていると思う。
血は血なので血に見えちゃうんだけど、汚れや朽ち果てともかけてあるんでしょう。
美しい点は他にも数知れず。