仄暗い水の底から

■なにこの黒木瞳にヒィヒィキャーキャー言わせたいだけのメンヘル映画。
原作を読んだ客をはるか彼方に置いてきぼりにしたような映画だな。
主役がこんなメンヘルじゃ、誰の横にもあるかもしれない恐怖ってのが
全然感じられないと思うんだが。
小説中の彼女も結構キてるけど
それを振り切って戻ってくるだけの母性があった。
映画版では母として非常に弱いので共感もしづらく、
隣人愛的に、助かってほしいとも思えない。
鈴木光司作品は、親の愛、親としての強さにあふれているのに
その部分がこれではダメなのではないか。
自分の遺伝子を受け継ぐ我が子より、
他人(…他「人」ですらないが…)であるみっちゃんを優先させるなんて、おかし過ぎる。
「来ないで!」というのがかろうじて
我が子を救う手段なのだと言い訳しているが
原作により、立ち退く選択肢がある事はわかっているのだから
映画版ではやっぱり郁ちゃんよりみっちゃんを救う事を選んだのだ。
しかもラストのエピソードにより、
現象が作用したのが母親にとどまらない事がはっきりし、
母親の妄想の線も消してしまったのだから
もうぐだぐだである。
コントというか、ワールドというか、
我に帰らされる部分も多くて
あの雨漏りに(結果的に)我慢しているのがありえないし
その真下にベッドをもってきているのもリアリティに欠ける。
エレベーターにこだわって階段を使わないのも真剣味に欠けるでしょ。
園内に掲示してある絵に見入るところやその他の、
鋭敏な感覚、というだけでは説明のつかない、強引なエピソードも気になる…。
なんといってもすごいのは
母と話した郁子が普通にすたすた帰るラストシーンだ。
ここ、暗示かなんか僕のわからない意味が入ってるんですか?
某ネット書店のレビュー、低評価をつけているのは現在一人だけで
(僕ではない)、その他のレビューがこぞって高評価なところを見ると
マーケティング的には成功しているんだろう。
そこにはおそらく原作を先に読んだ人種は含まれていないけれど。
同じサイトで原作である小説版のレビューももちろん読めるが
二つのレビュー内容があまり違わないのがすごい。
映画版支持者はあの内容から小説と同じテーマを汲み取る事ができるわけで
その能力には感服します。