心を亡くす・ケガレ

■夏休みを取っていた関係者が出社してきて
一斉に仕事が動き出したので、
レギュラーと合わせて、忙しくてたまらない。
電話、何本しただろう? デスクワークじゃない技術職なのに。
しかし、「あともう少しで辞めるかもしれない」という気持ちでいると
不思議に気持ちに余裕が出てくる。
休暇明けで機嫌のいい上司とのやり取りは不快じゃないし
そんなに悪い職場じゃないな、なんて事まで思ってしまう。
いかんいかん、ちょっとした雰囲気で懐柔されてどうする、
とは思うけど、退社を決定事項にしちゃいけないし、
とにかく冷静にいろんな角度から検討する事が
今の僕には重要なんだ、と自分を戒める。
何といっても恐いのは熱病と臆病な逃亡だ。
刺激がほしくなった、何かいい事があるような気がする、
今の状況に我慢ができない(気がする)、
そんな理由で家族にリスクを負わせるわけにはいかない。
判断を誤らないように、
とりあえずは常に頭から離さないように。
■最近、電車の座席に座る際に
端っこを避けるのが習慣になってきた。
ドアの近くは空調の効きが悪いし、
ドアの横に立った人の鞄が突き出たり
お尻が顔に近かったりするし
結構、環境劣悪なのだ。
それでも端っこが好きな人は多い。
年寄りが降りそびれないように
少しでもドアに近いところに座ろうとするのは別としても、
人々が好んで長い座席の端に座るのは
肩、二の腕、肘、膝への他人の干渉を
片方だけでも拒む事ができるからだろう。
触られたくない、という気持ちはとてもよくわかるし
実は僕はそれが強い方の人間じゃないかと思う。
ただほとんどの場合、不快なのは
こっちに触れている事に向こうが気付いていない時や
触れている事を過小評価している時、
触れてもしょうがないだろ何が悪い的な開き直りを感じる時、等だ。
すみません、という気持ちを感じながら袖擦りあっても
多くの場合、不快ではない。
本人の自覚は、人の怒りを抑える力があるのだ。
そういえば最近、「自覚のない」という言葉を聞かないが
自覚していたら好きなように生きていけない事に気付いてしまうからか。