虚構の世界

■ここのところ、「モンスターハンター」(PS2)というゲームにハマっている。
中世期の世界観でファンタジックモンスターと戦っていくゲームだ。
このゲームの中でも弱肉強食のサイクルの頂点に立っているのは人間であり、
その上位には今のところ何も存在していないようだ。
このゲーム中での話なのだが、
おとなしい草食竜を倒して人間の食料にしたり、
装飾品の材料としての角を採取するためにハンティングする部分がある。
僕は虚構の世界に対して動物愛護を訴える気はまったくないし、
残酷な描写に対して批判する気もない(ちゃんと15歳以上に指定してある)が
実はここがあまり気持ちよくない。
食料として獲るのも、自分が食べる分ならいいんだけど、
街の祭に供するために相当な量を獲ったりしていると、
ちょっとげんなりしたりする(街でちゃんと食べてもらっていると思うけれど)。
こんなふうに書くと、現実と仮想現実の区別が付かなくなってきてるんじゃないかと
心配されそうだけれども、そういう事じゃない。
最近ではマトリックスに代表されるが、昔からSF世界で描かれてきた
「仮想現実を弄んでいるここもまた、仮想現実」
という考えが頭に浮かんできて、気分が悪いのである。
与えられた人格も人格であるならば、プログラミングされた人格も人格であるわけで
ゲーム上の世界がその世界に暮らす者にとって現実ならば
それをプレイしている我々の世界もまた、
上位世界の存在が作り出したシミュレーションに暮らしているのかもしれないわけだ。
実際には、例えそうだったとしてもネオのように反旗を翻すわけでもなく、
反旗を翻したところで、プログラム停止されて「この世の時間が止まる」だけだから
この世に甘んじるしかないわけだが、
最近のテレビゲームのグラフィックの向上に、いろいろ考えさせられる、という事なのです。