子供が底辺になっても

先日、我が子が将来ベンツに乗るようになってもそれは俺の幸せじゃないという記事を書いたのだけれど、
裕福方向ではなく貧窮方向だった場合はどうなのだろう、そっちも考えるべきだと気がついた。
例えば本人がリスクを承知で喫煙を続けるのであれば、
そのことで早く死んだとしてもそれは本望だろうし
ある意味それが寿命だともいえるわけで、
親が悲しむのはちょっと違う気がする。
……例えがマイルド過ぎた。
例えば、働いたら負けとばかりに怠惰な生活を送り、
その結果として早死にしたとしたら。
「ちゃんと働け」と何度言っても聞かなかったのだとしたら、
それももはや親が作用できないことであり、寿命といっていいのではないだろうか。
親として嘆くことになるだろうが、
子供のほうから関係を断たれているような話であり、
「子供の人生は子供のものだから」と思うしかない事例となる気がする。

もう少し考えてみよう。