外国の人にはレミングに見えるでしょう

福島第1原発 周辺の賃貸に入居希望殺到 避難所を敬遠
一見、「危険な地域に好き好んで舞い戻る人達」の記事に見せてそうではない。
「現在の居住環境の劣悪さ」と「収入を得るために『危険を認識してなお』働かなくてはならない人々」の記事である。

日本では今「がんばろう」とか「乗り越えられる」とか言ってるけど、
外国から見たら「なぜとどまってがんばっているのか」と思われていると思う。
なぜかって言われても、それは人それぞれなんだけれど
多くの人達の場合、それは生活のためなんだと思う。
中には故郷を愛しているから、という人もいるだろうけど。
生活を守りたいと言ったって健康被害の可能性もあるわけで、
だからみんな自分の置かれた条件に合わせて駆け引きするのだろう。
ここで話は東京在住の僕のケースに移る。
僕は家族を扶養している。
あとしばらくは稼がなくてはならないのだが、東京を離れると失職する。
もう若くないから体力仕事は無理だし、デスクワークにしたってこの歳では敬遠される。
バイトぐらいにはありつけると思うけれど、収入は激減するだろう。
生活保護という手もあるが、いずれにせよ子供達を高校へやるのさえ難しくなると思われる。
だから東京を離れられない。
「テレビは液晶大画面じゃないとイヤだ!」なんて言ってない。
「ケータイでアバター買えないとイヤだ!」なんて言ってない。
もっと、結構切実な問題なのだ。
そんなわけで、僕は自分と家族の健康被害リスクを差しだして東京に住み続ける事になる。
子供の健康を害する要素を肯定するっていうのは、最悪だ。
最悪なんだけど。
「世の中にはもっと、比べ物にならないぐらい辛い境遇に置かれた人がいる」のだった。
全財産を失った人もたくさんいる。
先述の話でいえば、今この時点で扶養家族の高校進学が不可能になった人もいっぱいいるだろう。
その人達と比べれば、僕の場合はまだ基盤を失っていないだけはるかに、
およそ天文学的な距離ほどをもって「恵まれている」と言えるだろう。
現状では東京に住む人達には「健康にただちに影響があるような」放射能放射線の問題はないとされている。
被害もないのに慌てるな、怯えるな、騒ぐな、というのがお上からのお達しだ。
いや、東京でも健康被害は「ある」。
僕は素人だけど、風説の流布になろうが炎上しようが言う、「東京でも被害はある」。
それをもって、深刻な被災者達の悲惨さと、東京在住の我が家の問題とは個別に考えるべき問題となる。
つまり、やはり僕は「最悪の選択」をしている自己を肯定するわけにはいかないのだ。
まだマシとか、もっと辛い人達の気持ちになれとか、それは話のすり替えだ。
家族の命と生活、どちらが大切かと聞かれれば家族の命が大切と答えよう。
でも、家族の余命と生活、どちらが大切かと聞かれて、僕は生活を選択してしまっている。
これは我ながら胸が潰れる思いだ。
「そりゃそうだよ」「みんなそうだよ」は助けにならない。
最悪だ。
そんな事を考えつつ、東京に生きている。
Twitter原発関連の事を呟くのは自粛中。