語尾の「ですね」

■世の日記やブログにありがちな、
「〜ですね」といった、
語尾の「ね」が最近許せなくなっている。
自己顕示しながらしかしちょっと同意を求める姿勢がもう。
しかしいざ、腹が立つ事例を探してみると
「〜ね」使いが頻繁なのに腹が立たない文章が多い。
おやっと思ってしばらく探索していたのだが、
そのうち腹が立つ条件がわかってきた。
常識的に、または社会通念上当たり前の事なのに
自分の意見として断定した文体をとらずに、
さも皆そうだろうというような、
同意を得られたかのような語尾がムカつくのだ。
だから、
「〜ですよね」
(大衆の同意を”これから”得ようとしている、もしくは筆者が大衆に歩み寄ろうとしている)よりも
「〜ですね」
(大衆の同意を既に得ている、または大衆を筆者に引き寄せようとしている)
のほうが腹が立つようである。
「(私は)コシヒカリが好きですね」…○
これはいいんである。語尾を柔らかくしただけだと思うからだ。
コシヒカリは美味しいですね」…×
これはアウトなんである、僕的には。そして
コシヒカリは美味しいですね〜」…×
これもアウト。しかし
コシヒカリは美味しいですね!」…○
これはいいし、
コシヒカリは美味しいですね(^^)/」…○
これも大丈夫なんである。
なんというか、抑揚のなさというかそっけなさというか、
そのくせ人の存在を計算に入れている風な、
そんなのがとても気に入らないのだ。

ニュアンスの話なので、僕の感覚が伝わらないと
「こいつ何言ってんだ」という話になってしまう。
だがとても難しいニュアンスなのでうまく伝えられない。
先ほどアウトだと書いた「コシヒカリは美味しいですね」を僕がどう感じるか、
違う言葉で書いてみるとこうなる。
コシヒカリは美味しいというのは万人が肯定する事なのはあなたもわかってますよね」
うまく書けたかな。
自分自身で言い切る事から逃げている感じ。
多数意見であると見せかけようとする感じ。
(見せ掛けの)多数派に属せよと脅迫するかのような感じ。
僕は国語の専門教育を受けていないので、このぐらいしか書けないけれど。
国語を学べば、この用法の謎が解けるのだろうか。