例の「声かけ写真展」について

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僕が通っていた写真専門学校の、
報道写真学科の卒業制作だったかなんだったかが、
「街中で50人に声をかけて写真を撮らせてもらってくる」
だったと思う。100人だったかもしれない。
またその頃は、街角で人物スナップ写真を撮るのにあたり
撮影「後」に同意を取り、こちらの連絡先を知らせる、という方法は
紳士的であり、マナーに沿ったやり方とされていた。
撮影「前」では演出が加わってしまうので
これは必然でもあった。

今回問題となった写真展は、たいへん複雑な問題点を抱えていると思う。
一番厄介なのは、被写体が(おそらくほとんど)未成年であり、
その「同意」が有効であるかどうかという点だろう。
「写真を撮らせてもらっていいですか?」と聞かれて
「構いません」と答えた子供たちが、
その写真がこの先いつまで公開されるのか、
閲覧者がどういう視点でその写真を眺めるのか、
それらについて考えが及ばなかったならば
その「同意」は無効、ということにできるように思う。
ただ、これが難しいのは、
ではプロの子供モデルはどうなのか、
プロの子役はどうなのか、というところだ。
おそらく親権者の同意あたりが鍵になっていると思うが、
子供の気持ち、考え、を誘導し、
さも本人が望んだように、
進路を親の意向に沿わせることは、ないことではない。
例えばSTAR WARS Ep1でアナキンを演じたジェイク・ロイドは、
出演後の暮らしを「生き地獄」と表現している。
親の同意が子供を守るかどうかについては、
「ジュニアアイドル 親権者」あたりで調べてみるのもいいだろう。
しかしとにかく、ここをシビアにやるとなると
全てのマスメディアから未成年を消し去らなければならないはずだ。
AKBも、「はじめてのおつかい」も、全部だ。
文化というものを継続していく上で、これには答えが出ないだろう。
だから、曲がりなりにも一応同意を取っている今回の撮影方法には
難クセをつけるのは得策ではないと僕は思う。

写真の内容について、水着や体操服などの姿が
「一部の者に劣情を催させる」内容であり、おぞましい、
という意見もあるようだが、
そういう意見については、理解はするもののギリギリで棄却されるべき話だと思う
(注.僕は展示を見ていないので、猥褻物認定されるものがなかったなら、だが)。
なぜかといえば「線引き」ができないからだ。
運動会シーズンともなれば、TVCMなどで
体操服姿の児童が描かれることがある。
それらは健康的で、微笑ましく可愛らしいものとして描かれるが、
なぜ片方がよく片方がダメなのか、
論理的な説明ができる人はいないだろう。
圧倒的に、「見る側の問題」であって、
写真に写っている内容には罪がない。
(追記・スカートの下の下着が写されたものもあったようで、それはダメだな、と思う)

アウトだろうなと思うのは、写真を高額で複製販売するという行為だろう。
芸術作品の頒布と言えなくはないのだが、
展示されたある程度の物量を以って「表現である」のはわかるが
その中から特定の児童を選んで持ち帰る、というのは
懐古路線の写真展の口上とも食い違う。
はっきりいえば主催者の本性が出てしまっているのだ。

主催者の過去も取り沙汰されているが、
それはなんとでも言い逃れができる問題である。
だが焼き増しはまずいだろうな、と思う。

僕も人の親で、我が子が他人の劣情の的になるなんて、身の毛もよだつ気がする。
だが同時に、この写真展がある面で芸術性を併せ持っていることももわかるのだ。
ブレッソンだって森山大道だってやっていることは同じである。
この写真展を否定することは、
荒木経惟を、梅佳代を否定することと同義である。
さらにいえば、例えば「震災被害地に生きる子供たち」などという
ドキュメンタリーだって同じなのではないか。

写真を生業とする身として、今回の一件には
どうしても言及したかったから書いてみた。
誤解されると困るので断っておくが、
児童を性の対象にする人間は「変態」で、
差別の対象としていいと思っている。
僕の意見はあくまでも写真家の立場から述べたものである。