ブログのネタ

■もう去年の秋の事になる。
車で奥多摩湖の辺りまでBBQがてらドライブに行ったのだが
その道中、道端に「ランチャ・ストラトス」が停まっていた。
それもアリタリアカラーっていうらしい奴。
大事に飾られているのを見た事は何度かあるけれど、
実走状態(停まっていたが)を見るのは初めてだったから、僕は大いにコーフンした。
車を停めて、持ち主にしゃべりかけて
写真でも撮らせてもらおうかとさえその時は思った。
でも今になって考えると、
そうまでする行為、そうしたいっていう思考って
ちょっと変だし気持ち悪い。
なぜなら普段の僕は、さしてストラトスに時間を割いてなどいないのだ。
「にわか」どころか、普段は思い出しさえしない。
それが、ドライブ中に見かけた途端に
「ランチャランチャ。俺知ってるから。俺わかってるから。」と、
なんだか得意気に、なにやら特別視されたい風に。
何タニマチ気分になってるんだよ、と思うのだ。
なんか、すごくアサハカな感じ。
最初はそんなにシニカルには考えなかった。
写真は撮れなかったものの
(結局それは停まるほどには好きじゃなかったって事)、
mixiの日記に書いちゃおうかな〜っ、
なんて思っていたのだ。
だけど、退屈な車中でその日記の文章を考え続けるうちに
なんかもう、とても気持ちが悪くなってしまったのである。
「今日、奥多摩に行く途中でランチャ・ストラトスを見ました」。
だから何?見たから何なんだ?見たら偉いのか?
もし写真を撮ったとしたらそれは何なんだろう。
「証拠」だと思う、きっと。
珍しい事があったとブログなんかに書くっていうのも、
ほのかな「証拠作り」ではないだろうか。
珍しい事象に出会うっていうのは
「体験は財産である」という点から言えば
非常にラッキーな事だというのは間違いない。
しかしそれが他人にとっても価値を持つかどうかといえば
そうではない事の方が多いだろう。
当人にとってさえ…価値があるかどうかは
「その人の価値観」にさえよらないのではないのだろうか。
その事象によって当人が得る物があったか、思うところがあったか、
それが重要であると思うのだ。
つまり事象自体には価値がない。
そんな風に考えたら、mixi日記が書けなくなってしまった。
しかしはてなは書ける。
はてな大好き。
■試しに書いてみる。
■去年の冬、ドライブ中に見たランチャ・ストラトス
ゲルググみたいだった。すごく不細工。だがかっこいい。
ストラトスゲルググが似ていると思った人は他にもいるかなと思って検索してみたら、
ガンダムシリーズストラトスというキャラがいるらしくて
うまく探り当てられなかった。残念。