映画の吹き替え

■このところ、映画の感想をよく書いている。
そのついでに言い放っておきたいのだが、
吹き替え版は字幕版に劣るというのは間違った思い込みだ。
これってもう書いたネタだっけ?
あーそれから僕は声優フリークとかじゃないです。
昔は僕も字幕のほうがかっこいいと思っていた。
山田康雄の声でしかイーストウッドを知らない奴は
ハリー・キャラハンをわかってないんだ、と
自分だけが知っているかのようにほくそ笑んでいた。
その考えがぶっ飛んだのは「MASK」をテレビで見た時だった。
マシンガンのように繰り出されるハイテンションな台詞。
ギャグの内容よりも、アップテンポなテンションこそが
こんなに面白いんだ、と突如気付いたのだ。
字幕を読んでいては到底熱気を維持できない、
いくらジム・キャリーの喋り口が上手くて魅力的でも
説明してもらうギャグはだめなのだ。
僕が吹き替えを推すようになったもう一つの理由は、情報量である。
説明するには一度脇に逸れなければならない。
映画「STAR WARS」シリーズは
全6作(アニメ含まず)の、
親子二世代の青春を描いたスペクタクル大巨編である。
その舞台は銀河をまたにかけ、雄大で…長く、複雑である。
SWは映画の公開に合わせ、小説化もされるのが常で、
映画と映画の間に起こった事や
映画で説明し切れなかった設定は、ここで補完されたりもする。
本来、映画は映画内で完結するべきで
そこで描ききれなかった部分を予備知識とする事を
観客に強要するのはほめられた事ではない。
しかしSWの場合はそのスケールの大きさゆえに
何部作かに分けたとはいえ、上映時間の制約から
伝えられる情報が限られてしまう事はやむを得まい。
そんなSWであるから、劇中の台詞も非常に大きな意味を持たされている。
ある台詞「だけ」が、その後のシーンの理由・動機になっていたり、
過去にあったであろう関係を示唆したり。
だが。
推測だが、字幕というのはシーンが切り替わる前に読み終わらせ、
なおかつちょっとは俳優の表情に
目を走らせる事ができるほどの短さでなければならないはずで、
SWの情報量に、字幕は対応できていない。
字幕版しか見ていないのに、通商連合の動向を説明できるだろうか?
ちなみに吹き替えの台詞は小説版とかなり近い。
ただし、SWをアクションラブストーリーとして楽しむぶんには
たいした問題にはならないが。
先程も少し触れたけれども、字幕を読むと画面を見る時間は減る。
だから若い頃は映画を見に行ったら
初めは字幕主体、次は映像主体、と続けて二度鑑賞していたが
大人になってそんな事もしなくなった。
なのに上映時間のほとんどで字幕を読んでいては、実にもったいない。
誤解されると困るのだが、吹き替えの失敗作はもちろんある。
青春映画において、憂いを含んだややたどたどしく話す青年が
「不器用」な点だけを見初められて
「ドジなお調子者」の声優をあてられたりすると
作品としては悲惨だ。アフレコの演出が、
俳優の演技とかけ離れた物だったりする事もあるだろうし
手放しに、言語が異なる場合の吹き替えを賛美するつもりはない。
大物俳優を起用しているなら
台詞の抑揚を楽しむ楽しみ方もあるだろう。
どちらを選ぶかはケースバイケースである、が
せめてケースバイケースでどちらをも選べるぐらいには
吹き替え版を嫌わないでほしいのだ。
僕も歳をとった。
歳をとって感受性が鈍くなった部分は確かにある。
例えば俳優の顔の造作にはあまり関心がなくなった。
しかし、せっかく世に出た映画の言わんとする事はわかってやりたいなと思うのだ。
わかって、こき下ろすかどうかは別問題だが。